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  • 加害者の過失と被害者の過失の違い
    過失相殺の被害者の過失・事理弁識能力と加害者の過失・責任能力の違い
    事故を起こした責任(損害賠償責任)を問われる「加害者の過失」と、過失相殺における「被害者の過失」は異なります。加害者の過失を問うには、加害者に「不法行為責任能力」が必要ですが、過失相殺するには、被害者に「事理弁識能力」があれば足りるとされています。ここでは、「加害者の過失」と「被害者の過失」の違い、「不法行為責任能力」と「事理弁識能力」の違いについて、見ていきましょう。そもそも「過失」とは?交通事故を起こした加害者に過失があると、被害者に対して損害を賠償する責任を負います。一般的に過失と呼ばれるものは、この過失(加害者の過失)です。過失についての民法の規定過失とは、民法に定める不法行為(民法709条)の1つで、注意義務を怠ったために、事故を起こし、損害を発生させることをいいます。民法は、過失について次のように定めています。民法709条故意または過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。これは「不法行為責任」と呼ばれ、故意の場合はもちろん、過失で他人に損害を与えたとしても、その損害を賠償する責任を負います。いわゆる過失には、損害を賠償する法的責任がともなうことがポイントです。過失を問うには、相手に「責任能力」が必要加害者の過失を追及して損害賠償請求するには、加害者に不法行為責任能力があるかどうかが問題となります。加害者に責任能力がない場合は、過失を問えません。刑事事件でも「心神喪失者の行為は罰しない」(刑法39条)と定められ、刑事責任能力がない者は罪に問われませんね。それと同じです。責任能力とは、自己の行為の責任を弁識する能力(知能)です。もう少し平たく言えば、その行為によって何らかの法的責任が生じることを認識する能力のことです。交通事故の場合でいうと、事故を起こして相手に損害を与えれば、その損害を賠償する法律上の責任が発生することを理解できる能力を責任能力といいます。責任能力について、民法は次のように定めています。「未成年者は、他人に損害を加えた場合において、自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは、その行為について賠償の責任を負わない」(民法712条)「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない」(民法713条)このことから、未成年や精神上の障害により責任能力のない者に対しては、過失責任(不法行為責任)を問えません。つまり、交通事故で加害者の過失責任を問うには、相手に責任能力があることが必要となります。「過失相殺における被害者の過失」と「加害者の過失」の違い過失相殺における「被害者の過失」は、いわゆる過失(=加害者の過失)とは、概念が異なります。「加害者の過失」と「過失相殺における被害者の過失」の違いについて見てみましょう。加害者の過失加害者の過失は、法律上の義務違反や社会生活における信義則上の義務違反です。不法行為者に対し、法律(民法709条)に基づいて損害賠償責任を負わせるものです。そのため、民法では、不法行為責任を問うには、加害者に責任能力(自己の行為の責任を弁識するに足る知能・能力)があることが必要としています(民法712条・713条)。民法709条の過失は、「真正の過失」ともいわれます。過失相殺における被害者の過失一方、過失相殺は、被害者の被った損害を当事者間で公平に負担させる制度です。したがって、過失相殺における「被害者の過失」は、過失相殺の公平の理念にもとづいて、賠償額を減額することを相当とするような被害者の不注意・落ち度であれば足りる、とされています。加害者の過失(不法行為)のように法的強制力をもって賠償責任を負わせるものと違い、「損害を当事者間で公平に分担する上で、被害者の落ち度をどう斟酌するか」という趣旨のものですから、民法には「被害者の過失」について、別段の規定がありません。民法は、被害者の過失を考慮して過失相殺できる(民法722条2項)と定めているだけで、被害者の過失を考慮する際に「被害者にいかなる能力が備わっていることを要するか」については規定がないのです。民法722条2項の過失は、「自己過失」ともいわれます。過失相殺に要する被害者の能力(過失相殺能力)とは?「過失相殺するには、被害者にどのような能力(過失相殺能力)が備わっていることを要するか」については、法律に明記されていないため、解釈による具体化が必要となります。これについては、最高裁の判例も変更が行われています。昔は、過失相殺するには「被害者に責任能力が必要」と考えられていましたが、いまは「責任能力までは必要でなく、事理弁識能力が備わっていれば足りる」とされています。事理弁識能力とは、物事の良し悪しを判断できる能力のことです。例えば「道路に飛び出すのは危険な行為」だということを理解する能力、危険を回避するのに必要な注意をする能力のことです。かつては過失相殺に被害者の責任能力が必要と考えられていた昔の判例は、「被害者の過失」と「加害者の過失」は、厳密には同じでないものの、被害者の過失相殺能力と加害者の責任能力とを同質と解し、過失相殺の適用には、被害者が責任能力を備えている必要があるというものでした。被害者に責任能力があり、責任能力を有する被害者に不注意があるときに、はじめて被害者にも過失があるということになり、過失相殺できると解されていたのです。ですから、被害者に過失があったとしても、「責任能力のない幼児等には、過失相殺を適用できない」というのが従来の考え方でした。民法722条2項にいう「被害者ニ過失アリタルトキ」に当るものと解すべき余地があるとしても、死亡者が幼少者その他行為の責任を弁識するに足るべき知能を具えない者であるときは、その不注意を直ちに被害者の過失となし民法722条2項を適用すべきではないと解するのが相当である。⇒最高裁判決(昭和31年7月20日)最高裁が判例を変更しかし、そもそも過失相殺は、被害者の損害を当事者間で公平に負担させる制度です。そういった過失相殺の理念から、最高裁は昭和39年に判例を変更し、過失相殺には、被害者に責任能力がそなわっていることは必要なく、事理弁識能力がそなわっていれば足りるとする判断を示しました。最高裁判決(昭和39年6月24日)民法722条2項の過失相殺の問題は、不法行為者に対し積極的に損害賠償責任を負わせる問題とは趣を異にし、不法行為者が責任を負うべき損害賠償の額を定めるにつき、公平の見地から、損害発生についての被害者の不注意をいかに斟酌するかの問題に過ぎないのであるから、被害者たる未成年者の過失を斟酌する場合においても、未成年者に事理を弁識するに足る知能が具わっていれば足り、未成年者に対し不法行為責任を負わせる場合のごとく、行為の責任を弁識するに足る知能が具わっていることを要しないものと解するのが相当である。現在は、この最高裁判例の立場で、過失相殺の実務が動いています。なお、この最高裁の判例以降、損害の公平な分担を実現するための過失相殺の調整機能を強調して、被害者の事理弁識能力すら不要とする下級審の判例も出ています。「事理弁識能力」と「責任能力」の違い「責任能力」と「事理弁識能力」はどう違うのか、具体的な例を含めて見てみましょう。責任能力とは責任能力とは、自己の行為の責任について弁識しうる能力、自己の行為の結果として責任が生じることを認識する能力のことをいいます。交差点で赤信号を見落として進入し、衝突したとしましょう。当然、赤信号では停止しなければいけません。信号無視で交差点に進入し事故を起こしたのだから、損害賠償の責任が発生する、といった事情を理解する能力が、責任能力です。裁判例によると、11~12歳で責任能力がそなわると解されています。事理弁識能力とは事理弁識能力とは、自己の行為の結果について弁識しうる能力、損害の発生を避けるのに必要な注意をする能力のことをいいます。道路は危険だから飛び出してはいけない、といったことを理解できる能力が、事理弁識能力です。飛び出した結果、どのような法的責任が発生するのかまでは理解する必要はありません。事理弁識能力を有するか否かの判断は、個々人の具体的事情によるので一概に年齢だけで判定することはできませんが、裁判例によると、5~6歳で事理弁識能力がそなわると判示するものが多いようです。東京地裁(昭和45年7月6日)が5歳3ヵ月の幼児に、福岡地裁(昭和52年11月15日)が5歳9ヵ月の幼児に、事理弁識能力を認めた判例があります。まとめ過失相殺における被害者の過失は、交通事故の責任原因である過失とは異なり、被害者に責任能力がなくても事理弁識能力がある場合は過失相殺が行われます。過失相殺に必要な事理弁識能力は、一概には言えませんが、5~6歳くらいになると備わると考えられています。また、被害者に事理弁識能力がない場合は、監督責任のある両親など「被害者側の過失」として、過失相殺されることもあります。お子さんの事故で、相手の保険会社から過失相殺を迫られ、納得できない場合は、交通事故の損害賠償に詳しい弁護士に相談してみましょう。交通事故による被害・損害の相談は 弁護士法人・響 へ弁護士法人・響は、交通事故被害者のサポートを得意とする弁護士事務所です。多くの交通事故被害者から選ばれ、相談実績 6万件以上。相談無料、着手金0円、全国対応です。交通事故被害者からの相談は何度でも無料。依頼するかどうかは、相談してから考えて大丈夫です!交通事故の被害者専用フリーダイヤル 0120-690-048 ( 24時間受付中!)無料相談のお申込みは、こちらの専用ダイヤルが便利です。メールでも無料相談のお申込みができます。公式サイトの無料相談受付フォームをご利用ください。評判・口コミを見てみる公式サイトはこちら※「加害者の方」や「物損のみ」の相談は受け付けていませんので、ご了承ください。【参考文献】・『交通事故損害賠償法 第2版』弘文堂 289ページ
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  • 被害者側の過失
    交通事故の過失相殺における被害者側の過失と被害者側の範囲
    被害者本人に過失が認められなくても、被害者と一定の関係にある者を「被害者側」として捉え、被害者側に過失があったと認められるときは、過失相殺することができます。「被害者側の過失」とは何か、「被害者側」に含まれるか否かの判断基準と運用例について、見ていきましょう。被害者側の過失とは?「被害者側の過失」が問題になるのは、おもに、被害者本人に過失が認められなくても、被害者と一定の関係にある者の過失が関係している場合です。被害者本人の過失と被害者側の過失の両方を認定し、あわせて過失相殺することもあります。過失相殺は、被害者と加害者の間で損害の公平な分担を図る制度ですから、被害者自身に過失がなくても、被害者と一定の関係にある者の過失を斟酌することが公平であるとして、過失相殺が認められます。被害者が幼児の場合の親の過失親が目を離した隙に、幼児が道路に出て事故に遭うというケースは少なくありません。こういう場合、幼児には道路が危険という認識が十分備わっていませんから、被害者本人の過失は否定されますが、親には監督上の過失があり「被害者側の過失」として過失相殺されます。例えば、3歳の幼児とその母親が、赤信号を無視して道路を横断中に自動車事故に遭い、幼児が負傷した場合を考えてみましょう。被害者である幼児にのみ着目すると、3歳の幼児に事理弁識能力はありませんから、過失相殺されません。しかし、この場合、親が一緒にいて、しかも信号を無視して横断中に起きた事故です。加害者が全額損害賠償する義務を負うとなると、過失相殺の公平の理念に反します。ちなみに、歩行者が赤信号で横断を開始し、車両側の信号が青だった場合、過失相殺率認定基準(判タ38号)によると、歩行者の基本の過失相殺率は70%です。また、被害者である幼児に対しては、母親も共同不法行為者の立場になります。運転者が幼児に損害の全額を賠償し、あとで、過失のある母親に対して過失割合に応じた求償をするのが、本来的な筋道です。しかし、母親と幼児は、同居して生計を一にしているでしょうから、加害者がいったん賠償金を全額幼児に支払い、あとで母親に求償するというのは、回りくどい方法で、現実的ではありません。そこで、経済的に一体の関係にある者の過失については、被害者本人の過失と同視して過失相殺するというのが、「被害者側の過失」の考え方です。被害者側の過失を斟酌して過失相殺すれば、求償の循環が省け、紛争を1回で解決でき合理的です。結果として、加害者と母親との連帯責任を分割したことになります。被害者が幼児以外の場合の被害者側の過失「被害者側の過失」の考え方は、被害者が幼児の場合など、被害者本人に事理弁識能力がなく過失相殺が認められない場合の不公平を是正するために出てきたものですが、いまは広く類推適用されるようになっています。例えば、妻が夫の運転する車に同乗していて他の自動車と衝突し負傷した場合、運転していた夫にも過失があれば、「被害者側の過失」として過失相殺されます。「被害者の過失」には、広く「被害者側の過失」も含む民法は、「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる」(民法722条2項)と定めています。「被害者の過失」には、広く「被害者側の過失」も含むと解されています。民法722条にいわゆる過失とは単に被害者本人の過失のみでなく、ひろく被害者側の過失をも包含する趣旨と解するを相当とする。⇒最高裁判決(昭和34年11月26日)「被害者側」の範囲と判断基準それでは、「被害者側の過失」の「被害者側」には、どの範囲まで含むのでしょうか?「被害者側」の範囲について、最高裁は「身分上・生活関係上一体をなす者」という基準を示しています。被害者側の過失とは、被害者本人である幼児と身分上ないしは生活関係上一体をなすとみられる関係にある者の過失をいうものと解するのが相当である。⇒最高裁判決(昭和42年6月27日)「身分上・生活関係上の一体性」が判断のポイント「被害者側の過失」を考慮する場合に「被害者側」に含まれるか否かは、「身分上・生活関係上の一体性」で判断します。ただし、これは抽象的な基準なので、個別に判断することが重要になります。「身分上一体をなす者」とは、被害者と相続・親族関係にある者が該当します。「生活関係上一体をなす者」かどうかは、被害者と同居しているか、生計を一にしているか、などを考慮して判断します。さらに、実際に求償の循環が行われるか、といった観点から「一体性」が判断されます。「被害者側の過失」の適用範囲の拡大昭和42年の判例は、被害者が幼児の場合の「被害者側の過失」に関するものですが、その後、「身分上・生活関係上一体をなす者」という基準を援用し、配偶者に過失がある場合にも「被害者側の過失」として過失相殺することを認める判断を示しました。夫の運転する自動車に同乗する妻が右自動車と第三者の運転する自動車との衝突により損害を被つた場合において、右衝突につき夫にも過失があるときは、特段の事情のない限り、右第三者の負担すべき損害賠償額を定めるにつき、夫の過失を民法722条2項にいう被害者の過失として掛酌することができる。⇒最高裁判決(昭和51年3月25日)昭和51年の判決では、「被害者側の過失」を「被害者の過失」と同視して過失相殺する合理性についても言及しています。このように解するときは、加害者が、いったん被害者である妻に対して全損害を賠償した後、夫にその過失に応じた負担部分を求償するという求償関係をも一挙に解決し、紛争を1回で処理することができるという合理性もある。「被害者側」に含まれるか否かの具体的な判断の運用例「被害者側」に含まれるか否かの判断基準、すなわち「身分上・生活関係上一体をなす者」の判断について、具体的な運用例を紹介しておきます。あくまでも運用例で、個別事情により判断が異なる場合があります。親族関係にある者の過失夫婦、未成年の子と親、同居して経済的にも一体関係にある兄弟などは、「被害者側」の範囲に含まれます。監督義務者である父母の過失監督義務者である父母の過失は、「被害者側の過失」として過失相殺されます。「他人の不法行為によって死亡した幼児の父母が、これによって自ら受けた精神上の苦痛に対する慰藉料を請求する場合に、父母の一方に事故の発生についての監督上の過失があるときには、その双方の請求について右過失を斟酌することができる」(最高裁判決・昭和44年2月28日)夫婦の過失夫婦は、婚姻により、身分上・生活関係上一体となりますから、被害者側の過失として斟酌されます。例えば、夫が妻を乗せて運転中に事故に遭い、妻が負傷して、その損害を賠償請求する場合、夫に過失があれば「被害者側の過失」として、過失相殺されます。ただし、法律上の夫婦であっても、婚姻関係が既に破綻しているような場合には、「被害者側」と認められないこともあります。夫が妻を同乗させて運転する自動車と第三者が運転する自動車とが、右第三者と夫との双方の過失の競合により衝突したため、傷害を被つた妻が右第三者に対し損害賠償を請求する場合の損害額を算定するについては、右夫婦の婚姻関係が既に破綻にひんしているなど特段の事情のない限り、夫の過失を被害者側の過失として斟酌することができるものと解するのを相当とする。(最高裁判決・昭和51年3月25日)内縁関係にある者の過失身分上・生活上の一体性が認められれば、内縁関係にある者も「被害者側」に含まれます。内縁の夫婦は、婚姻の届出はしていないが、男女が相協力して夫婦としての共同生活を営んでいるものであり、身分上、生活関係上一体を成す関係にあるとみることができる。そうすると、内縁の夫が内縁の妻を同乗させて運転する自動車と第三者が運転する自動車とが衝突し、それにより傷害を負った内縁の妻が第三者に対して損害賠償を請求する場合において、その損害賠償額を定めるに当たっては、内縁の夫の過失を被害者側の過失として考慮することができると解するのが相当である。(最高裁判決・平成19年4月24日)婚約して将来結婚する予定であった者の過失婚約していた者や、近く婚約して将来結婚する予定であった者の過失は、身分上・生活関係上の一体性があるとはいえないので、「被害者側の過失」とは認められません。被害自動車の運転者とこれに同乗中の被害者が恋愛関係にあったものの、婚姻していたわけでも、同居していたわけでもない場合には、過失相殺において右運転者の過失が被害者側の過失と認められるために必要な身分上、生活関係上の一体性があるとはいえない。(最高裁判決・平成9年9月9日)その他の親族の過失同居しているか、生計を一体にしているか、実際に求償の循環が行われるかなど、身分上・生活関係上の一体性があるかを具体的・総合的に判断します。実兄の運転する自動車に同乗中、実兄の過失も原因となって事故が発生し受傷した被害者(妹)について、同女が既に結婚して別世帯を構え、生計を別にしている場合には、実兄の過失は被害者側の過失として過失相殺をすることはできないとした事例があります。(名古屋地裁判決・昭和47年6月14日(判タ№283))祖父母が孫の面倒を見ていて、孫が事故に遭ったときなどは、判断が分かれることがあります。最高裁の基準に照らせば、祖父母が同居していて生計を一にしていれば「被害者側」の範囲に含まれますが、同居しておらず家計も別なら「被害者側」には含まれません。ただし、祖父母が一時的に父母の監護についての履行補助者となったと認められると、「被害者側」に含まれる可能性があります。3歳6ヵ月の女児の事故について、祖父が父母の補助者として同女の監督に当たっていたものと認められるから、祖父の付添中の不注意は父母の責に帰すべきものであるとして、祖父に監督義務者としての過失を認めた事例があります。(高松地裁・昭和44年8月27日(判タ№239))親族以外の者の過失被害者本人と「身分上・生活関係上一体をなす」と見られるような場合に限り、「被害者側の過失」とみるのが最高裁判例の立場です。したがって、家事使用人の過失を「被害者側の過失」と認めた判例(最高裁判決・昭和42年6月27日)はありますが、これ以外では制限的です。例えば、保育園の保育士や子守を頼まれた近所の主婦などの過失は、監督義務はありますが、「身分上・生活関係上の一体性」はないので、「被害者側の過失」とはなりません。なお、「被害者側」とは認められない監督義務者に民法709条の過失がある場合は、その監督義務者は加害者と共同不法行為の関係に立ちます。保育園の保母が当該保育園の被用者として被害者たる幼児を監護していたにすぎないときは、右保育園と被害者たる幼児の保護者との間に、幼児の監護について保育園側においてその責任を負う旨の取極めがされていたとしても、右保母の監護上の過失は、民法第722条第2項にいう被害者の過失にあたらない。(最高裁判決・昭和42年6月27日)例えば、単に職場の同僚や友人の車に同乗したというだけでは、同僚・友人の過失が「被害者側の過失」とはなりません。被害自動車の運転者とこれに同乗中の被害者が同じ職場に勤務する同僚である場合には、他に特段の事情のない限り、過失相殺において被害者側と認められるために必要な身分上、生活関係上の一体性があるとはいえない。(最高裁判決・昭和56年2月17日)雇用されている者(被用者)の過失雇用されている者(被用者)の過失は、原則として「被害者側の過失」として斟酌されます。企業が被用者の活動で成り立っているのですから、当然といえるでしょう。例えば、被用者である運転者の過失によって使用者が負傷した場合、「被害者側の過失」として過失相殺されます。被用者の過失を「被害者側の過失」として斟酌できるかについては、大審院のころから、被害者の被用者の過失を斟酌して、損害賠償額を減額していました。これは、使用者責任(民法715条)との均衡を考えれば明らかでしょう。被用者が、業務中に第三者に損害を与えた場合には、使用者が被用者に代わって第三者に対して損害賠償責任を負います。これが使用者責任です。逆に、使用者が第三者から損害の賠償を受けるときにも、被用者の過失による賠償責任分は、第三者ではなく使用者の側で負担するのが、損害の公平な分担という過失相殺の理念にかなうというわけです。まとめ「被害者側の過失」という考え方は、損害の公平な分担を図る過失相殺制度の趣旨からすれば合理的なことには違いありません。しかし、「被害者側」の範囲をむやみに拡大解釈することは、被害者救済の理念に反します。「被害者側」の範囲を限定することが大切です。被害者本人以外の第三者の過失が過失相殺の対象となるのは、被害者本人とその第三者が「身分上・生活関係上」一体をなし、第三者の過失を被害者本人の過失と同視しなければ不公平であると認められる場合に限ります。保険会社から「被害者側の過失」として過失相殺を迫られ、納得できない場合は、交通事故の損害賠償に詳しい弁護士に相談することをおすすめします。交通事故による被害・損害の相談は 弁護士法人・響 へ弁護士法人・響は、交通事故被害者のサポートを得意とする弁護士事務所です。多くの交通事故被害者から選ばれ、相談実績 6万件以上。相談無料、着手金0円、全国対応です。交通事故被害者からの相談は何度でも無料。依頼するかどうかは、相談してから考えて大丈夫です!交通事故の被害者専用フリーダイヤル 0120-690-048 ( 24時間受付中!)無料相談のお申込みは、こちらの専用ダイヤルが便利です。メールでも無料相談のお申込みができます。公式サイトの無料相談受付フォームをご利用ください。評判・口コミを見てみる公式サイトはこちら※「加害者の方」や「物損のみ」の相談は受け付けていませんので、ご了承ください。
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